たぬちゃんのオーストラリア旅行(第九日)
・1991年3月19日(晴) 今日は実質的に旅行最終日となる。この日に選んだオプショナルツアーはラフティングである。今でこそ、一般化した様相もあるが、当時はまだ「ラフティング」という言葉すら知らない人が多かったのではないか? 私たちもパンフレットを読むまで言葉を知らなかった。 ラフティングには半日コース(初心者)と1日コース(中級者)があるということだったのだが、ガイド氏から「半日コースでは面白くない。保津川下り程度だ」と聞いたので、無謀にも1日コースに申し込んだ。 #この時点で「保津川下り」を経験していなかったら、実はたとえ自体を理解していなかったんだけどね。 出発はなんと午前5時。ケアンズからバスで2時間程度のタリー川を目指す。バスに乗っていたのは、大半が欧米人。日本人は我々以外には、新婚旅行できているという2組のみだった。 道中にラフティングの説明が行われるのであるが、当初は日本語での説明も行うというはずが、周りの陰謀で、私が通訳をする羽目になってしまった。説明は、その大半がギャグである。しかもかなり寒い... 寝起きの我々には地獄のような2時間だった。 現地に到着する直前には「事故が起きて怪我をしても死んでも一切文句をいいません」という書類にサインをさせられる。ちょっとビビリだした。 現地につくとすぐにチーム編成。我々は11人で申し込んでいるため、1チームとなった。(船は9人一組となるので、東京からきたI君たちは別の船になった)インストラクターは「ポールサイコー氏」。片言の日本語を操る変な人である。 ボートの乗せられ、パドルの基本的な操作についてレクチャー。といってもものの5分程度だったけど... でも右・左を「英語じゃわかりにくいだろうからミッキーマウスとドナルドダックにしよう」って、そのほうがわかりにくいじゃないか! このせいで、右・左がわからなくなるときが数度... 日本だったらこのレクチャーだけで1日とりそうだが、ここでは5分ほど練習して、「OK Let's Go!」と川にこぎ出す。すぐに急流が迫り、ボートの上は、右へ左へ大騒ぎとなる。比較的流れのゆるやかなところでは、川に飛び込み泳いだりしながら、午前中をフルに活動する。 昼食は、岩場でハンバーガー。結構おいしかったのだが、手を洗うところもないから、汚いといえば汚いよなあ... 午後からはさらに激しい急流を下っていく。なんどもボートから振り落とされそうになっていた時...いままでで一番きつい瀬にぶちあたった。その瞬間ボートが大きく跳ね上がり、一番前に座っていたNさんがふっとばされる。ちょうど真後ろにいた私にぶつかって止まったんだけど、その時に口を切ってしまった(思ったより衝撃があったんだもん)。ようやく落ち着いて後ろをみるとTが笑みを浮かべたままゆっくりと流れに落ちていくところだった。 笑顔だったため、一瞬「身体をはった芸だ」と思ったのだが、どうもそうではないらしい。しかもどんどん岩場が迫ってくる。かなりスピードがついている状態だから、岩に直撃したらかなりのダメージがあるはず(だって女の子がぶつかっただけで口切るんだから)。実際それまであわてなかったポールも真剣な表情になっている。なんとかパドルをのばして、引き上げたのであるが... T曰く、 「あまりの恐怖に思わず笑ってしまった」 Nさん曰く、 「もう二度と会えないと思いました」 ってあんた... そんなこんなで3時過ぎにはゴール地点に到着。私はといえば、強烈な日差しで日焼け状態を越えており、フラフラになっていた。 帰路のバスの中では、死んだように眠っていたのでどのような会話がなされていたのか、まったくわからない。 ホテルに帰ったあと「プールで泳ぐ」という他の人に「とりあえず疲れたから30分ほどしてから、行く」と伝え、部屋のベッドの上でダウン。 次に気がついたら、NとTが部屋に戻ってきており、心配そうにしていた。なんでもすでに3時間程度が経過しているということである。 私のほうはといえば、体中が痛く、しかも熱まであるようだ。とりあえず身体を冷やさないといけないということで、プールにつかる。水の冷たさが心地よい。 でも部屋まで戻ると、また痛さと熱がぶり返す。この日は最終日ということで、私たちの部屋にみんなが集まることになっていたのだが、NとTが気を遣ってくれてFくんの部屋に集合場所を変えてくれていた。 Fくんの部屋で、話をしていたようなのだが、私の記憶はほとんどない。どうやら体力の限界を突破してしまったようだ。 この日は1時頃に寝たのだと思うが、朝までまったく目を覚まさなかった。 |
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